ひとひらの愛

独断と偏見とポエム

天才の横顔

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人生で一度だけ、テストでカンニングをしたことがある。塾の特待生試験での話だ。

大学受験のために通っていた学習塾には特待生制度があって、試験で一定以上のスコアを取った生徒は一年間の授業料が免除された。その代わり国立大学、早慶上智東京理科大等の指定校をいくつか受験し、「●●大学合格者○名!」という、あのよく見る広告の数字を稼いでくることを義務付けられる。それは当時高校生のわたしの目には、フェアな取引に映った。試験は高校二年生から三年生になる年の春休みを挟んで週末ごと実施され、合格するまで何回も受けることができる。科目は英語・国語・数学の3教科。基準点や得点は発表されず、合格者の名前だけが週明け廊下に貼り出された。試験の結果如何によって入塾を決める生徒もいたし、わたしはもともと高校一年生のときからその塾に通っていたので、家計を助けられるなら助けたい、くらいの気持ちで受験していた。「中高と私立に通ったんだから、大学は国公立」というのが親と交わしていた約束で、どのみち国立大学は受けなければならない。英語と国語は得意だけど数学は苦手という典型的な文系生徒だったわたしは、2回受けて2回落第しており、点が足りないのは数学だけだと自覚していた頃、Nくんに出会った。

もう20年近く前の話なので記憶違いかもしれないが、最初にNくんと会ったのはたしか自習室だった。休憩のタイミングが被ったのか、どちらから話し掛けたのかは覚えていない。Nくんは私立の男子校に通っていて、実家が遠いので寮生活をしていると話した。特待生試験には3回受験して3回落ちており、数学は得意、英語もまぁできる、けれど致命的に国語が苦手なのだという。わたしとは真逆だ。そしてわが家に比べると彼の家庭の方が、授業料免除に対する期待値はより高いようだった。「お母さんががっかりするんだよ」。高1の頃から、母親とは週に一度、電話で話す習慣がついている。「試験どうだった?」「ごめん、今週もだめだったよ。次はもっと頑張る」「そう、頑張ってね、きっと大丈夫よ」というやり取りがつらい。早く合格して母親を安心させたい。電話を片手に俯く彼の姿が目に浮かぶようだった。

どちらからカンニングを持ち掛けたのか、どういう流れでそれを決定したのか、その場で話したのか、それとも連絡先だけ交換して後日メールか何かで相談したのかも、もう覚えていない。けど素朴で実直だった彼の性格を考えると、わたしの方から持ち掛けたんだと思う。特待生試験はいつも授業が行われている長机の大教室で実施され、席は先着順で自由だ。原則は、二人とも自力で問題を解く。わたしは数学、彼は国語の、どうしても解けなかった問題だけ、相手の答案を見る。特待生の数に上限はないから、誰かを蹴落とすわけではない。わたしたちは授業料を免除され、親は喜び、塾は合格実績を得る。被害者はいない。いかにも15歳のわたしが考えそうなことだ。その翌週末、わたしたちは隣り合った席に座り、試験を受けた。

 

 

『バッド・ジーニアス』は、程度の差はあれ「学歴」を「ここではないどこか」への切符にした経験を持つ人間なら、絶対に胸が締め付けられるだろう映画だ。無限の可能性を秘めた10代の、「少し賢い子ども」だったあの頃、それでも可能性の端緒を開く鍵はシンプルに「勉強」しかなかった。高校で劣等生だったわたしですらそうなのだ。学校一の秀才だったリンとバンクにとって、それがどれだけ心強い「武器」だったかは想像に難くない。テストでいい点をとったら新車を買ってもらえるセレブ同級生カップルと、苦学する天才たちの対比がつらい。

教室で、校長室で、クイズ番組の回答台で、試験場で、横並びになった二人はきっと、互いの存在に支えられていただろう。横顔が美しい映画だ。リンとバンクがずっと並んで、同じ方向をめざしていられたら良かったのに。しかし「運命の分かれ目」に立つとき、二人はいつも向かい合っているのだ。リンが取引を持ち掛ける印刷所で、バンクがそれを受ける歩道橋の上で、翻ってバンクが取引を持ち掛けるクリーニング屋で。並んで撮ったセルフィ―は削除され、二人が一つのイヤホンを分け合うことは、もう二度とない。

映画の終盤、オーストラリアから帰国したリンが空港で父親に「話がある」と切り出すシーンでは、気持ちが救われた。「すごく賢い子ども」が世界に対して大きな影響力を持つことができるのは、わくわくする反面、やはり残酷なことに違いない。高校生の頃は「フェアな取引」と信じて疑わなかった塾の特待生制度だが、数十万円の支払いの有無を15歳の学力に負わせることも、一種の残酷だと今は思う。

試験の結果、Nくんは無事に特待生になり、わたしはというと、基準点に少しだけ足りず、授業料が半額だけ免除される「準特待生」になった。わたしは前期試験で第一志望に受かり、彼も後期試験で国公立に受かっていたと思う。ずっと欲しかった「東京」への切符。わたしは学びたかった内容について大いに学び、その延長線上にある職に就いた。カンニングのことは、大学生になってから耐えきれず母にだけは打ち明けた。どうしても一人では抱えきれなかった。たしか母が運転する車に乗っていた時だ、母はまず驚き、次に呆れたように笑い、最終的には「聞かなかったことにする」と言った。それだけで、驚くほど気持ちが楽になった。

リンが父親に打ち明けられて良かった。一人で抱え込むことができたらヒーローとしてカッコいいけど、これは犯罪映画ではなく、やはり青春映画なのだ。留学の夢に破れて国内に留まることを選んだ彼女の前途は、明るく描かれる。

 

 

Nくんは誰かにあのことを打ち明けただろうか? お母さんには言えなかったかもしれない。彼は理系クラスだったので、高3になってからは塾で会う機会もなく、ぽつぽつとメールをやり取りする程度だった。

大学生になってすぐの頃、一度だけ大学近くのファミレスで彼に会った。わたしたちは窓際のソファ席に向かいあって座り、隣のテーブルではわたしと同じ大学に通っていると思しき新入生が、コンサバ風の女の人二人に英語教材を売りつけられようとしていた。わたしは「こういうのってほんとにあるんだな」くらいの感想しか持たなかったが、Nくんは「止めた方がよくない? おれああいうのだめなんだよ、絶対このままじゃ契約しちゃうでしょ」と、友達のことのように気を揉んでいたのが印象的だった。それ以来、彼には会っていない。

彼の学歴は、彼を望む場所に連れていっただろうか? 元気でいたらいいなとだけ思う。

燃え尽きるまで

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地元駅の新幹線ホームに降りるとき、いつも自然に少し背筋が伸びる。歩いているだけでいつ誰に会うかわからない緊張感もあって、あの頃の自分に「こんなに大人になったのよ」とつっぱる気持ちもあって。18歳で飽きて出てきた街。地元愛は薄い方だ。用事がない限りはほぼ帰らないし、その「用事」も年々、家族や友人に会うためというより、推しのための遠征とか、仕事のための出張とか、「あの頃の自分」理由から「大人の自分」理由にシフトしている。でも今年は「用事」が多くて、冬に祖父が亡くなった。春に仕事が入った。夏は自担が司会を務める「いのちのうたフェス」の公開収録に参加するために、早めの休みをとって新幹線に乗った。手元に観覧はがきは届いていなかったけど、去年もそれで諦めて東京に残っていたら意外に現地では見つかったという話を後から聞いて、「後悔するくらいなら行くだけ行こう」と仕事を調整したのだ。 あの日からずっと、加藤さんの顔が見たかった。言葉が聞きたかった。それを生でできる場があるなら、ましてやそれが地元なら、みすみす逃す手はなかった。

 

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君が一番疲れた顔が見たい

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生まれて初めて、付き合っている、と言っちゃいけない人と付き合っている。べつに恋愛の話がすごく好きなわけじゃないけど、人と話をすること自体がとても好きなわたしにとって、これは当初想定以上にややこしい縛りプレイで、自分の思考や行動を相互に関連づけて現在地を語るスタイルに慣れすぎているせいで、彼――仮にKとしよう――のこと抜きに、今の自分の思考や行動を語るのはほとんど不可能に近い。

たとえば友達や仲の良い同僚と、最近はだいぶ暖かいからテラスのあるお店ばかり選ぶんだけど、ビールを飲みながら仕事の話をしようと思っても、恋愛の話をしようと思っても、映画の話をしようと思っても、本の話をしようと思っても、Kの話はそのすべての裏にぴたっと張り付いていて、切り離すことができない。誰にも背中を見せずに街を歩くことができないみたいに、Kのことを抜きに何の話もできないのに、しちゃいけないから、わたしにしてはキレのないストーリーだなぁと内心で相手に申し訳なく思いながら人と話すようになって、早くも半年経つ。できすぎた偶然の連続で築いた関係性だし、今この瞬間も夢ではないかと疑っているし、相手のメリットがわからない点を除けば詐欺だと言われても驚かない。でもとにかく半年経ったから、記念に書いておきたいのだ。誰にも言えないKの話を。 

 

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雷鳴と星閃

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コンサートについての感想を書くのは難しい。同じツアーでも、各公演によって微妙に演出やメンバーのコンディションは違って、そこに同じ時間はひとつとてないし、同じ公演でも、座席によってやはり目に映る世界は180°どころでなく違って、もっと言えば同じ席でも、見る側の担当やそのツアーで入ってる公演回数やグループに対する解釈によってやっぱり見える世界はがらりと違う。そんな前提のなかで、それでもわたしたちは同じ時間に同じ場所に集まり、再会を喜び、会いたかったね会いたかったよと繰り返し確認し合い、束の間の時間を共有して、それを糧にまた一年を頑張ったりする。何度でも何度でも、一昨年も昨年も今年も、たぶん来年も。

 

昨年、NEWS LIVE TOUR 2017 ”NEVERLAND” の感想、というか「人はいかにして神と出会い、奇跡を『奇跡』として雷のようにその身に受け、信仰にめざめるのか」を書いたけど、宗教としての増田貴久と名付けたその記事ももちろん長いツアーの中のある日の公演の、一面しか切り取っておらず、「箱推し」とか言いつつわたしの推し事の9割がしげとかますとかで埋められているのはこの際許してもらうとして、ツアーを通してずっと考えていたにも関わらずまったく触れられていないのは、実は慶ちゃんのことなのだ。 

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借り物の魂で

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会いたかった人とほぼ一年ぶりに会って、ハイになって一晩中喋ってシャンパンでフラフラの身体で帰宅して寝て起きて、お風呂に入ってもまだフラフラな頭で、ベッドにゴロンゴロンしながら読んだ横槍メンゴちゃんの新刊『めがはーと』に追い打ちをかけられるようにガツンと殴られて、今年の冬はやってきた。起毛のパジャマもくたくたの毛布も湯たんぽも、一瞬で無効化するように背筋を冷やす心理描写こそが、この作家の真骨頂だ。横槍メンゴという人が一貫して追ってきた(と、わたしは勝手に思っている)「誰かを想う気持ちの醜さ/美しさ」というテーマはこの作品の中でも、どこまでもかわいいあの繊細な筆致で徹底的に描かれていて、ぬくぬくとしたベッドの中にいてなお単行本を持つ指先がちょっと震える。「まじかよ……」とかつぶやいてしまう。

『めがはーと』は夫婦(やそれに準じる近しい関係性の人々)が、互いに寿命を「譲渡」できる世界を舞台にした連作短編で、そのいくつかは雑誌掲載時に読んでいたのだけど、まとめて読むとミルフィーユみたいに各話の隙間から感情の層が溢れ出て、もう一口ごとに醜さ!美しさ!醜さ!美しさ! と、一話一話読んでたときとは比べものにならないぐらい、贅沢な味がした。そういえば前作『クズの本懐』は読みながら、むしゃくしゃして甘いものを食べまくって満たされたあと、ちょっと胸焼けして気持ち悪くなるあの感じ、がよくこみ上げた。人を好きになることは、まるで自分の身体にいま足りてない栄養分をがつがつ補うような、身勝手さと暴力性がある。

 

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ゆぅっくりしゃべる女の子

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表参道のレストランで、ゆぅっくりしゃべる女の子に出会った。午前中からまつエクを直した小雨の土曜日の帰り道、小腹が減ったのでてきとうなパスタでも食べたい、と骨董通りでふらっと選んで入ったお店。案内されたカウンターの左隣では同い年くらいの女性の一人客が、トレンチコートも脱がずに前菜のサラダを食べていた。ゆぅっくりしゃべる女の子はわたしの右隣、スキンヘッドでスーツを着たどう見ても堅気ではなさそうな30代男性と二人連れ。席に着くなり、何だか関係性のよくわからない二人組だな、と思ったが東京で関係性のよくわからない二人組に遭遇する確率はけっこう高い。たぶんスカウトとかそれに類する何かなのだろう、ゆぅっくりしゃべる女の子は色白で、青色のパフスリーブのブラウスとか着ていて、髪の毛は一度も染めたことがないのかと思うくらい真っ黒に長くつやつやとしていた。00年代に女子高生だったわたしからすると、2017年の女子高生も女子大生も皆、すごくすごく清楚に見える。

真隣の席なので、特別に耳をそばだてなくても二人の会話はよく聞こえてきた。「大学では何を勉強してるの?」「彼氏はいるの?」とかそういう当たり障りのない内容。断片的なやりとりを総合すると、女の子はたぶん青学とかそのへんの大学の国際系の学部に通っていて、英語に興味があって、でも彼氏は日本人の方がいいらしい。友達には外国人と付き合っている子も多いけど、そういう子はたいていすぐに別れて、また新しい外国人と付き合って……ということを繰り返しているそうだ。スキンヘッドは女の子の話にすごく興味がある風でもなく、かといって退屈そうだったりバカにするでもなく、「ケーキもおいしいところあるんだけど、この後行く?」なんて誘ったりしている。真横にいるので近すぎて二人の顔は見えないが、小首を傾げる仕草というのは雰囲気というか、空気の流れで伝わるのものだと知った。ありふれたやりとりにも関わらず強烈に記憶に残ったのは、とにかくゆぅっくりしゃべる女の子のしゃべり方が本当にゆぅっくりだったからだ。忠実に再現すると、

スキンヘッド「学部どこだっけ?」

女の子「(ちょっと小首を傾げる)……国際○○……(すごくちっちゃい声、デクレッシェンド)」

スキンヘッド「じゃあ英語が好きなんだ」

女の子「(困ったような間)……うーん……(この間たっぷり15秒)」

……くらいのペースで会話している。楽譜でいうとすべてのフレーズにレント、ピアニッシモ、デクレッシェンドが連なる。すごく新鮮で、すごく印象的だった。そして、同時に少し懐かしかった。

 

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HiGH&LOWにNEWSが出演するのは必然

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『HiGH&LOW THE MOVIE 2 END OF SKY』を観た。昨夏、自分がどういった経緯でHiGH&LOWにはまったかはあまりはっきり覚えていない。会社がとにかく忙しかったり、急激に好きな人ができたり、仕事もプライベートもグチャグチャで、口を開けば「まっすーは神」と「ハイロー観て」しか言わないBotと化していたのが2016年の夏だったわけだけど、おそらくTwitterで二次元オタ界隈がざわざわーーーとしているのを見て、居ても立ってもいられなくなったんだと思う。「え~LDH全然好きじゃないんだけど……寧ろ嫌いなんだけど……」と渋る女友達に「わたしもだよ! でも村を焼かれた窪田正孝が観られるらしいよ!?」とか、「和製マッドマックスFRらしいよ!?」とか、怪しい伝聞調を駆使して口説き続けて結局4人グループで観にいった。終映後、皆HiGH&LOWが大好きになってた。「ハイロー観て」Bot爆誕の瞬間である。さらに別のオタク友達にも「スーパーイケメンウォーズな上にヒロインは窪田正孝だよ」とか、「90年代LaLa・花ゆめに掲載されてた少女向けアクション漫画みたいな文法なんだよ」とかとか、伝聞じゃないのに怪しい熱弁をふるって布教に勤しんだ。それは一年経ったいまも続いている。つい先週も「LDH苦手なんだよ……」とこぼす会社の人に「って思うじゃん!?でもハイローは(以下略」と食い気味につっかかった。ジャニーズやLDHに対する、世間の偏見というのはなかなか根強い。

そう、ジャニーズだ。『THE MOVIE 2』についての感想はすでに、たくさんの人たちが素晴らしいことを書き残しているので、映画新規のにわかファンなわたしがさらに付け加えることはとても少ないのだけれど、鑑賞後真っ先に強くあらわれた感情は「何で自担はここに出てないの!?」、だった。LDHのイケメンも、若手俳優なイケメンも、2.5次元のイケメンも、韓流なイケメンも、V系のイケメンも皆すばらしい、皆違って皆いい、イケメンの満漢全席みたいな映画だからこそ、ジャニーズのイケメンがいないのが寂しい。折しも先月は劇場版『銀魂』で堂本剛さま演じる高杉の妖しい美しさに両頬ビンタされて帰ってきたばかりで、「は~HiGH&LOWに出てるNEWSちゃんがみたいよ~~絶対合うよ~~~!」というモンペ感情が爆発してしまったのだ。

TLを覗くと、ジャニーズアカでも「HiGH&LOW最高!」と叫んでいる人はいる、でも全員ではないのがもったいない。NEWSオタクは絶対HiGH&LOW好きだと思うので観てください。逆に「HiGH&LOW最高! LDH萌える!」と叫んでいる人の中にも、「ジャニーズは自分のジャンルとは違うかな」と思っている人がいるかもしれない。HiGH&LOW好きは絶対ジャニーズもはまれると思うので円盤とか観てください。そんな動機で、HiGH&LOWにNEWSが出演することがいかに必然性の高いことなのか、以下精一杯書いてみたいと思う。

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