ひとひらの愛

独断と偏見とポエム

ゆぅっくりしゃべる女の子

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表参道のレストランで、ゆぅっくりしゃべる女の子に出会った。午前中からまつエクを直した小雨の土曜日の帰り道、小腹が減ったのでてきとうなパスタでも食べたい、と骨董通りでふらっと選んで入ったお店。案内されたカウンターの左隣では同い年くらいの女性の一人客が、トレンチコートも脱がずに前菜のサラダを食べていた。ゆぅっくりしゃべる女の子はわたしの右隣、スキンヘッドでスーツを着たどう見ても堅気ではなさそうな30代男性と二人連れ。席に着くなり、何だか関係性のよくわからない二人組だな、と思ったが東京で関係性のよくわからない二人組に遭遇する確率はけっこう高い。たぶんスカウトとかそれに類する何かなのだろう、ゆぅっくりしゃべる女の子は色白で、青色のパフスリーブのブラウスとか着ていて、髪の毛は一度も染めたことがないのかと思うくらい真っ黒に長くつやつやとしていた。00年代に女子高生だったわたしからすると、2017年の女子高生も女子大生も皆、すごくすごく清楚に見える。

真隣の席なので、特別に耳をそばだてなくても二人の会話はよく聞こえてきた。「大学では何を勉強してるの?」「彼氏はいるの?」とかそういう当たり障りのない内容。断片的なやりとりを総合すると、女の子はたぶん青学とかそのへんの大学の国際系の学部に通っていて、英語に興味があって、でも彼氏は日本人の方がいいらしい。友達には外国人と付き合っている子も多いけど、そういう子はたいていすぐに別れて、また新しい外国人と付き合って……ということを繰り返しているそうだ。スキンヘッドは女の子の話にすごく興味がある風でもなく、かといって退屈そうだったりバカにするでもなく、「ケーキもおいしいところあるんだけど、この後行く?」なんて誘ったりしている。真横にいるので近すぎて二人の顔は見えないが、小首を傾げる仕草というのは雰囲気というか、空気の流れで伝わるのものだと知った。ありふれたやりとりにも関わらず強烈に記憶に残ったのは、とにかくゆぅっくりしゃべる女の子のしゃべり方が本当にゆぅっくりだったからだ。忠実に再現すると、

スキンヘッド「学部どこだっけ?」

女の子「(ちょっと小首を傾げる)……国際○○……(すごくちっちゃい声、デクレッシェンド)」

スキンヘッド「じゃあ英語が好きなんだ」

女の子「(困ったような間)……うーん……(この間たっぷり15秒)」

……くらいのペースで会話している。楽譜でいうとすべてのフレーズにレント、ピアニッシモ、デクレッシェンドが連なる。すごく新鮮で、すごく印象的だった。そして、同時に少し懐かしかった。

 

このブログを読んだ人に、「ガンギマった人が瞬きもせず真顔でずーーーーっとしゃべってるみたいな文章だね」と言われたことがある。残念ながら現実のわたしのしゃべり方もだいたいそんな感じで、「今まで出会った人間の中で一番早口」と言われたこともあるし、初対面のボスには「文語でしゃべらないで!ノイローゼになるから!」と叫ばれたし、「オタク=早口」というのは古今東西男女問わず通用する法則で、さらに類は友を呼ぶのでわたしが仲良くしているような友人たちはオタク非オタク問わず、「すぅっごい早くしゃべる女の子」しかいない。もちろん、性格的におっとりしていたり、間を持って話す子も多いが、会話が盛り上がってくるとやはり皆早口になるように思う。

 

でも、かつてはわたしの人生の中にもたしかにいたのだ、「ゆぅっくりしゃべる女の子」という種族が。女子校時代のクラスメイトとか、大学時代の同級生の彼女とか、頻繁に関わるほどの距離感ではなく、でも時々顔を合わせる子たち。彼女らもやっぱり、相手からの質問はけして遮ったりせずに最後まで聞き、それどころかまずは小さく首を傾げて「うーん……」と時間をかけて咀嚼し、さらに一拍の間をおいてから、ピアニッシモの声で答えていた。ゆぅっくりと。その返答を待っている時間は妙にどきどきして、あんまりじっくり見たことのない生物を観察するような、しゃべってるのに「聞いてる」より「見てる」に主眼があるような、ふわふわと不思議な時間だった。

 大人になったいま、彼女たちはどこに行ったのだろう? と思う。少なくとも日々会社で働く中で、「ゆぅっくりしゃべる30代(以上の)女性」に出会うことはほぼない。自分の働いている業界や職種に偏りがあるのかもしれないが、社会に出てから数百単位の女性には出会っているはずで、ぱっと顔が浮かぶ人はいない。左隣に座っていたトレンチコートの女性は終始無言だったが、なんとなく服装の感じから早口でしゃべりそうな気がする。TVのバラエティ番組でも、ゆぅっくりしゃべる20代の女の子を見ることはあるが、大人の女性は少ない。

ゆぅっくりしゃべる女の子も、就活など何かのタイミングで、ゆぅっくりすぎないようにしゃべる訓練を積むのだろうか。あるいは、加齢とともにしゃべる速度も少しずつ早くなって、いつの間にか「ゆっくりしゃべる女の子」、くらいの位置に収まるのだろうか。あるいは、わたしが普段まったく縁のないもっとお堅い業界や、逆にスキンヘッドが暗躍する夜の世界や、はたまた穏やかな家庭の場で、変わらずゆぅっくりしゃべって、誰かをどきどきさせているのだろうか? 

 

……というようなことをグルグル考えながらペペロンチーノを食べていたら、ハーフサイズにしたにも関わらず何だかお腹いっぱいになって、結局全部は食べきれなかった。ゆぅっくりしゃべる女の子が注文したフルサイズの秋野菜のボロネーゼも、半分以上お皿に残っていた。「ちょっと量多かったね」「……うーん(言葉の意味をじっくり検討する時間)、うん」。レント、ピアニッシモ、デクレッシェンド。食後のカフェオレもさっさと飲んだわたしが席を立つ方が早かったので、あの後二人がケーキを食べにいったどうかは知らない。ゆうぅっくりしゃべる女の子が困ったように首を傾げたとき、それと伝わる空気の揺れとつやつやの黒髪を、それからもたまに思い出す。