ひとひらの愛

独断と偏見とポエム

借り物の魂で

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会いたかった人とほぼ一年ぶりに会って、ハイになって一晩中喋ってシャンパンでフラフラの身体で帰宅して寝て起きて、お風呂に入ってもまだフラフラな頭で、ベッドにゴロンゴロンしながら読んだ横槍メンゴちゃんの新刊『めがはーと』に追い打ちをかけられるようにガツンと殴られて、今年の冬はやってきた。起毛のパジャマもくたくたの毛布も湯たんぽも、一瞬で無効化するように背筋を冷やす心理描写こそが、この作家の真骨頂だ。横槍メンゴという人が一貫して追ってきた(と、わたしは勝手に思っている)「誰かを想う気持ちの醜さ/美しさ」というテーマはこの作品の中でも、どこまでもかわいいあの繊細な筆致で徹底的に描かれていて、ぬくぬくとしたベッドの中にいてなお単行本を持つ指先がちょっと震える。「まじかよ……」とかつぶやいてしまう。

『めがはーと』は夫婦(やそれに準じる近しい関係性の人々)が、互いに寿命を「譲渡」できる世界を舞台にした連作短編で、そのいくつかは雑誌掲載時に読んでいたのだけど、まとめて読むとミルフィーユみたいに各話の隙間から感情の層が溢れ出て、もう一口ごとに醜さ!美しさ!醜さ!美しさ! と、一話一話読んでたときとは比べものにならないぐらい、贅沢な味がした。そういえば前作『クズの本懐』は読みながら、むしゃくしゃして甘いものを食べまくって満たされたあと、ちょっと胸焼けして気持ち悪くなるあの感じ、がよくこみ上げた。人を好きになることは、まるで自分の身体にいま足りてない栄養分をがつがつ補うような、身勝手さと暴力性がある。

 

 

メンゴちゃんの作品世界ではヘテロの性愛とあわせて、同性愛や近親相姦もごく当たり前の関係性のひとつとして描かれていて、その目線はとてもフラットなのにも関わらず、登場人物ひとりひとりには禁忌を超えてでも「その人」でなければだめな理由が明確にあって、全員が自分の中の空腹感やほとんど飢餓感のような「誰かを想う気持ち」とあまりに真剣に向き合っているので、「ほんとになんて真面目な人たちなんだろう」と、圧倒されてしまう。同時に、まだ恋や性がまったく自分のものではなかったローティーンの頃、自分の存在も人の存在も恥ずかしくて距離感もよくわからなかった思春期の頃のグチャグチャな気持ちを急激に思い出したりもするのだ。

大人になって、何となく恋や性を分離したり併走させたりコントロールできたような気になっていても、薄皮一枚剥がすと自分の感情だって一口ごと、醜さ!美しさ!醜さ!醜さ! のミルフィーユそのままだ。「誰かを想う気持ちはなんて醜いんだろう」と自己嫌悪に陥るのは簡単だけど、そういうときは往々にして相手のことは人間には見えてない。ただ甘くてかわいいスイーツくらいにしか見えてない。けどそれが誰に責められるだろう? 好きになった男の人はむちゃくちゃかわいいし、好きな女の子はめちゃくちゃエロい。漫画の中で繰り返し描かれるその事実を、たいていの大人は知っている。だからと言って「自分も、相手からはそう見えてるかも」だなんて、普通はそうそう思えないのだから。

 

『めがはーと』はSF的な設定も相まって、「視点の切り替え」がとても重要な意味を持つ作品群だ。誰かを想う気持ちの醜さと美しさ、人に愛されることの天国と地獄、残されることの呪縛と祝福は常に紙一重で、「愛していたつもりが愛されていた」「愛されていたつもりが憎まれていた」「愛されてないつもりが愛されていた」「愛していたつもりが愛せてなかった」……視点を替えるごと、だまし絵のように世界は鮮やかに反転する。双子や同性愛や近親相姦のモチーフは、「あなたになれなかったわたし」「わたしだったかもしれないあなた」「違う形だったかもしれない二人」をあまりに容易に想像させて、余計にせつない。特にラストに収録されているep.4、恋愛経験に乏しい漫画家と、「落雷みたいなもん」で彼女に一目惚れする元キャバ嬢のアシスタントのエピソードでは、幾重にも視点がずれて積もって、「人を好きになること」と「物を作ること」両方の、文字通りの天国と地獄が描かれる。「誰かを想う気持ち」だけでも心は十分グチャグチャになれるのに、そこに「才能と嫉妬」が絡んだら……。

 

同作を読みながら、大好きな映画『リリーのすべて』を連想した。鏡の中の本当の自分、美しい女性としての自分を求めてどこまでもどこまでも行ってしまう夫と、「彼女」をモチーフに画家としての名声を得ながら、いつか夫が手の届かない場所まで走り切ってしまうと、どこかで気付いている妻の物語だ。二人は夫婦である以前に、まずは画家同士というライバル関係で、やがてモデルと画家という、才能の共犯関係になった。あの妻が自分より才能あふれる夫と、静かに男女として暮らしていれば幸せだったのにと、少なくともわたしには到底思えない。妻が描く「彼女」はむちゃくちゃかわいくて、めちゃくちゃエロかったのだから。

あるいは 『ピンクとグレー』を並べてもいい。目の前をいく背中追いかけていくうち、それが見えるはずのない自分の背中とぴったり重なるのは、きっと地獄の淵を覗くような心地がするだろう。誰かに憧れて、憧れて、一生懸命頑張った結果が相手の心を蝕んで、自分のもとには、最早自分のものなのか相手の劣化コピーなのかもわからない、借り物の魂だけが残るのだ。まるで唯一の誇りのようにして。

 

それでも。『めがはーと』に収められている作品はすべて、最後はきらきらと溢れる光の中で終わる。せつないけれど、いわゆる鬱エンドはひとつもない。それは横槍メンゴ作品が、言葉の最高の意味での「エンタメ」である証拠みたいに、わたしには思える。漫画が好きな人、ローティーンの頃の気持ちをいまだに引きずっている人、いま現にローティーンの人には全員読んでほしい。背筋を冷やして、指先を震わせてほしい。「誰かを想う気持ち」と向き合ってグチャグチャになっている人、相手が人格のない甘くてかわいいスイーツにしか見えなくて自己嫌悪に陥っている人にも全員読んでほしい。ページを繰ると、真夜中のセックスのあとに窓から見上げた雪とか、記念日に恋人と作った半ナマのキッシュとか、そういう細部が自分の体験みたいに立ち上ってくる。これからの季節にぴったりの一冊で、だけど冬の光がやっぱり一番綺麗だと、最後には感じ入ると思う、全員。

 

 

めがはーと (ビッグコミックススペシャル)

 

リリーのすべて (字幕版)

ピンクとグレー (角川文庫)