ひとひらの愛

独断と偏見とポエム

燃え尽きるまで

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地元駅の新幹線ホームに降りるとき、いつも自然に少し背筋が伸びる。歩いているだけでいつ誰に会うかわからない緊張感もあって、あの頃の自分に「こんなに大人になったのよ」とつっぱる気持ちもあって。18歳で飽きて出てきた街。地元愛は薄い方だ。用事がない限りはほぼ帰らないし、その「用事」も年々、家族や友人に会うためというより、推しのための遠征とか、仕事のための出張とか、「あの頃の自分」理由から「大人の自分」理由にシフトしている。でも今年は「用事」が多くて、冬に祖父が亡くなった。春に仕事が入った。夏は自担が司会を務める「いのちのうたフェス」の公開収録に参加するために、早めの休みをとって新幹線に乗った。手元に観覧はがきは届いていなかったけど、去年もそれで諦めて東京に残っていたら意外に現地では見つかったという話を後から聞いて、「後悔するくらいなら行くだけ行こう」と仕事を調整したのだ。 あの日からずっと、加藤さんの顔が見たかった。言葉が聞きたかった。それを生でできる場があるなら、ましてやそれが地元なら、みすみす逃す手はなかった。

 

 

2018年6月6日水曜日。わたしはNEWSとは別の現場で劇場にいた。お昼の公演が終わって、同行の人と別れて、雨の中傘を差してメトロの駅に向かう途中、相方からのLINEで翌日発売の週刊誌に載ることを知った。第一印象は「最悪」。つい先月、TOKIOの山口くんが事務所を辞めたばっかりで、そのとき「ほんとうに、何やってるんですか!? という気持ち。先輩のこんな情けない姿、見たくなかったです」と話したのは加藤さんだ。Twitterを開くと、ほとんどの人がこの件については言及していなかった。数日前から音源が上がっているのは把握していたが、TLでそのことについて触れている人は一人もいなかったし、そういうものに言及しないのが良いファン、といった雰囲気は普段からあった。昨年小山さんの熱愛が騒がれたときもそうだ。

でも、今回は飲酒強制なんだから、恋愛絡みのスキャンダルとは話がまるで違う。大学生の男の子がコールで亡くなった事件の提訴があったのはたったの3年前だ。あのとき慶ちゃんはすでにevery.のレギュラーだっただろうか? メトロに揺られながらぐらぐらと思考が巡る。電通の事件があって会社の飲み会でもモラハラの一種としてのアルハラが問題になっている昨今、相手が未成年じゃなくても飲酒強要は十分に重い。歌と踊りとお芝居が上手で、見た目が可愛くて、バラエティに強いことが売りのアイドルだったら事務所がスルーして済んだかもしれない。でも加藤さんと慶ちゃんは違う。誰もが知っている大学を出ていて、「インテリジャニーズ」と呼ばれて、アイドルなのにニュースが読めて、アイドルなのに本が書けて、時事問題にもリベラルな感覚できちんとコメントできる、それが彼らの大きな価値だったはずだ。それはデビュー以来グループにいろいろな事件が起こる中(にはもちろん未成年飲酒も含まれる)、もしかしたら歌や踊りには劣等感を抱えていたかもしれない2人が、それでも他の人には無い武器を手に入れようと、何年もかけて、きっと血の滲むような努力をして獲得したブランドだ。そのブランドが地に落ちた瞬間だった。ショックでショックでしょうがなかった。わたしにとってそれは、たとえば増田さんが踊れなくなるとか、てごちゃんが歌えなくなるとかに近しい出来事だった。何で皆黙っていられるんだろう? 

いろんな人から、半泣きのDMやLINEがきた。わたしは思うことを全部Twitterに書きながら、皆が本音を隠したようなTLが何となく気持ち悪くて、普段なら見ないようなアカウントまで検索して連夜新しい情報を探した。繁忙期なのに寝不足で日中のパフォーマンスは落ちた。それでもきっと、2人なら、加藤さんならすぐに何か言ってくれるはずだと信じていた。だって、2人とも言葉の人だ。キャスターと作家、形は違えど、言葉で伝えることを自分の武器として選んだ人たちだ。週刊誌発売直後のメディア対応は適切な形でなされたと思う。でも、そのあとはぱたりと何もなかった。加藤さんはテレビでは悲痛な面持ちで、ラジオでは場違いなくらい明るいテンションで、問題の核心には触れず、ブログも更新されなかった。わたしの好きな加藤さんは、何があっても場や多勢の雰囲気に流されることなく、冷静に物事を考え整理し、きちんと自分の言葉で伝えてくれる人だ。仮に事務所に止められていたのだとしても、何とか手段を講じてくれる人だ。でも慶ちゃんの謹慎期間中、その役割を担ってくれたのは何も悪くない増田さんだけだった。加藤さんを推してきたこの3年間で、一番がっかりした。

15周年を控えたグループの活動がどうなるかはわからず、関係者面で情報を流す人、その情報を拡散する人、その情報の矛盾を指摘する人、とにかく明るいことしか言わない人、ずっと沈黙したまま浮上してこない人、べき論を振りかざす人、集団ヒステリーのようなファンの姿を眺めていると、規模はまったく違うけれども東日本大震災直後のTwitterを思い出した。皆不安なのだ。

先行きは不透明なまま、チケットの発売日や入金日だけが迫ってくる。増田さんの舞台はとれず、公開収録には落選し、周年コンサートも全滅だった。どれも高倍率のチケットだからしょうがないけど、何だか、NEWSとの縁が一本一本切れていくような感覚に陥った。コンサートを持っている人は舞台と、舞台を持っている人は公録と、公録を持っている人はまた別日のコンサートとの交換を求めていたけど、何も持ってない自分はそのどれにも参加できなかった。各種の当落と前後して慶ちゃんが批判されながら復帰して、喜ぶ人を尻目にわたしの心は痛んだ。謝罪の基本は相手が引くまでやること、10年程度しか社会人をしていないわたしでも知っている常識だ。本当は「あれ、小山くんまだ謹慎してたの?」と言われるくらいまで出てこない方が、長期的に見た彼のキャリアにとっては、良かったのではないか? わたしたちが慶ちゃんにすぐに会いたい、慶ちゃんがいない15周年なんか嫌だ、と願う短絡的な気持ちが、ファンよりも数の多い慶ちゃんの「一般のお客さん」の好感度を下げてしまうのではないか? ひいては、NEWSの20周年を遠ざけてしまうのではないか? 一番不安なのはきっと自分だった。3週間経っても、思考はあの日から落ち着かず、ぐらぐらと揺れるばかりだった。

 

何でこの出来事がこんなにショックかって、もちろん15周年というタイミングもあるけど、一番の理由はEPCOTIAというすばらしいツアーの直後だったからだ。4月に書いたレポの中で、「コンセプチュアルな作品に、作品外のことをあれこれ考えずに没頭できる、これ以上嬉しいことはない」と書いた。NEWSを好きなのは、4人になって大変だったからでも、スキャンダルに負けずツアーを完走したからでも、ファンとの絆が強いからでもない。曲が良くて、歌が上手くて、世界観が明確で、かっこいいからだ。それがNEWSの魅力でありブランドだ。「今までいろいろあった」なんて、加藤さんのソロや、慶ちゃんの下ハモや、増田さんの衣装や、てごちゃんの笑顔の前では、どうだっていい。KAT-TUNだって関ジャニだっていろいろあった。それは皆同じだし、仮に「いろいろなかった」ように見えるグループがいたとしたら、アイドルとしてこれ以上すごいことはない。生きている限りは立ち止まっていたってまた賽は振るしかないし、痛みは助走に変えていくしかないけど、立ち止まりも痛みも、無いなら無いのが一番いい。もちろん、テレビなどのマスメディアを主戦場とする以上、「いろいろある」ことが話題性の面で有利に働くことはあるだろう。でも、そうしたら、「いろいろ」起こらないように毎日ストイックな努力を重ねている人の気持ちは、どこへいけばいいんだろう? できて当たり前とも言われて、語られることもないような努力は。増田さんの背中がいつもかっこいいのは、彼がそうして毎日毎日地道に磨き上げた、ぴかぴかの「信頼」の上に立っているからだ。自分自身の幸せについても、ちゃんと考えてくれてる? と、時にはファンを不安にさせるほどの、傷一つない孤高のプライドの上に。

NEWSはそろそろ、「いろいろあった」はもういいんじゃないか、とずっと思ってきた。単に曲が良くて、単に歌が上手くて、単に世界観が明確で、単にかっこいい、そんなグループとして、もっともっと世界から知られて、愛されるべきだと。EPCOTIAで見た4人は、最高にかっこよかった。コンセプチュアルな演出も、タフな構成も、笑顔でこなす自信に満ちた彼らは内側から光るようにキラキラと輝いてまぶしくて、その上に15周年という追い風が吹いていた。毎週のように新情報が発表されて舞い上がった。でも、結局また「いろいろあった」に引き戻されてしまった。それもメンバーたち自身の手によって。「音源を流した側が悪い」「週刊誌がなければ」という声もたくさんあったけど、すべてのタレントが同じ条件下で戦っているのだ。どんなにパフォーマンスが良くたって、「日頃の行いから傷一つない他のタレントを差し置いてパフォーマンスだけで勝てるほどのグループなのか?」と問われると、個人的には疑問が残る。「二度と真面目さやがむしゃらさを売りにしないと誓えるか?」と問われると、俯くしかない。

 

2018年7月5日木曜日。広島は豪雨で街ごと白く煙っていた。チケットは見つかっていなかったけど、とにかく携帯をフル充電して、伸びてきたネイルを直し、喫茶店で誰に渡せるかもわからないお土産に添えるメッセージカードを書いた、「今日はありがとうございました」と。その間も取引のツイートやDMをいくつか打ちながらタクシーで会場まで行き、最終的には開演まで1時間切った16時半頃、同行させてくださる方が見つかった。それは一つの現場への参加権を得ただけじゃない、6月6日から徐々に切れていった縁が、最後の細い一本だけ残っていたと知らされるような、奇跡的な希望だった。同行者さん曰く、たくさんの連絡が来たけれど、会場に向かう前から譲りのツイートは眺めていて、DMをした時点でわたしのアイコンには見覚えがあった、とのことだった。有難くてそれだけで泣いてしまいそうだった。Twitterでどんなにネガティブなことをつぶやいても、泣き言を言っても、離れていくどころか慰めて応援してくれた、チケット絶対見つかるよ! と一緒に探して祈ってくれた、大切な友人たちが繋いでくれた希望だ。嬉しかった。

震える手で受け取ったチケットは下手司会側のかなり前寄りの席で、心の準備をしていなかったわたしはコンタクトすら入れてきてなかったけど、それでも表情まではっきりわかるくらい、僅か数メートルの距離に加藤さんがいて、立って、笑って、喋っていた。ツアーのときよりフェイスラインはしゅっとしてたけど、ビビットで見たほどに激痩せ!という印象はなくて、ただただかっこよかった。慶ちゃんと並んでるとあまり意識しないけど、ほかのアーティストや芸人さんと並んだ姿を生で見ると、背も高いし顔も小さいし脚も長い……と、スタイルの良さに目を奪われる。同じ空間と時間を共有していても、NEWSのコンサートでは「加藤さんが歌っているのを見る」という二項構造なのに、公録では「誰かが歌っているのを加藤さんと一緒に見る」ことになるのが不思議で、ちょっぴり落ち着かなかった。ライブの合間に軽いトークとVTRを挟みながら番組は進み、ときどきお母さんに連れられてきた赤ちゃんが泣いたりして、和やかな現場だった。てごちゃんのコメントにはさすがの慣れとキレがあって、並んだ2人はくしゃっとおんなじ顔をして爆笑していた。加藤さんは知的で、声は優しくて、でもてきぱき仕切るというよりは等身大の自分のまま進行している印象で、それにすごく好感を持った。無理がなくて嘘のない言葉、音楽への愛、抜群のビジュアル、加藤シゲアキにしかできない仕事がそこにはあった。「歌や踊りやお芝居が上手い」以外の付加価値で、加藤さんが自ら掴んだ大事な仕事だ。わたしが大好きな、わたしが好きになった加藤シゲアキがそこにいた。

被爆者の方が高校生に当時の体験を語る取材VTRを観ながら、今年の冬に亡くした祖父を思った。祖父は1945年、小学生のときに広島市内で被爆した。太平洋戦争の末期、すでに学徒動員が始まっていて、本当は工場に行かなければいけない朝、「前日友達と川で遊んで疲れてたから」という理由で、工場をさぼろうかと思案しながら家で寝ていたら偶然に助かったという。工場に出た同級生は皆亡くなったらしい。当時人口35万とも言われる市民の内16万人の命を奪った原爆は、わたしにとって、わたしの同級生たちにとって、多くの広島市民にとって、過去の出来事などではけしてない。「紙一重で自分の命を奪ったかもしれない」爆弾なのだ。あの日祖父が時間通り工場に出ていたら、前日川で遊んでいなかったら、父親も自分も、この世に存在していなかったかもしれない。広島にルーツがある加藤さんやてごちゃんだって同じだ。16/35という確率に、「自分だけは大丈夫」と思える人が何人いるだろう?

わたしの性格がちゃらんぽらんなところも、本の虫なところも、大酒飲みなところも、全部全部両親にはない、祖父から受け継いだ特徴だ。命は繋がっている。88歳で大往生した祖父の名前は原爆死没者名簿に登録され、慰霊碑に奉納されている。原爆や放射線が直接の死因でなくても、被爆者手帳を持っていればそこに名前が連なることを、祖父が亡くなってから初めて知った。今年の8月6日には平和記念式典の招待状が届く。この地にとって「被爆者が亡くなる」ことの意味の重さを改めて知らされるようだった。「被爆者が居なくなる前に核廃絶を」という声が聞かれるようになって久しいのは、目の前の人がサバイバーであるという圧倒的事実が抜け落ちていったら、きっといつか原爆も「過去のこわい出来事」になってしまうからだ。

誰も戦争を知らない時代が訪れようとしている中、歌やエンターテインメントの力で未来に平和への思いをつなぐ。「いのちのうたフェス」は、そんな背景に制作された番組だ。誰もができる仕事ではない。今回の騒動があって局側は出演者変更や降板も考えたかもしれない。広島で2人に会えて嬉しい。でも、来年はまたどうなるかわからない。それを寂しく思いながら迎えたエンディングの挨拶で、加藤さんは本番中に何回か赤ちゃんが泣いてしまったことについて、「今日はたくさんの子のいのちのうたも聴くことができましたね」と、さらりとコメントした。その日の加藤さんの仕事のすばらしさを凝縮したような一言だった。優しさと知性と気遣いとユーモア。慶ちゃんの飲酒強要が一回の飲み会限りの話ではなく、ハラスメント全般に関わる重大事だったのと同様に、そのコメントは一日の収録限りの話ではなく、育児の負担が女の人にばかりかかって、且つ子どもに対して異常なまでに不寛容ないまの日本社会全般に関わるコメントに聞こえた。当日子どもを連れてきていなかった人も含めて、いったい何人のお母さんが救われただろう。そんな一言がさらっと出る自担が誇らしくて、これがNEWSの加藤シゲアキさんですよー!と、大声で喧伝したくなった。

 

2018年7月7日土曜日。広島を襲った豪雨は一夜明けても降りやまず、それどころか西日本全体を覆う歴史的な災害にまでなってしまった。帰京予定だったわたしも実家に足止めされ、特にすることもなくリビングでMUSIC DAYを観ていた。加藤さんが主演を務める連ドラのタイアップなのに、シングルカットさえ未定な新曲「生きろ」の初解禁。司会が嵐の櫻井翔くんということで、週刊誌にいろいろ書かれた両グループのファンはどっちもぴりぴりしていた。謹慎期間が明けた小山さんが公の場に姿を見せるのは初めてだった。

夕方17時過ぎ、CMを挟んでNEWSの出番がやってくる。翔くんは呼び込みの時点でもう、「こら、NEWS~!」と、ふざけて怒ってるみたいにグループ名を呼び、4人が登場すると、間髪を入れずに端にいた加藤さんから順に、全員に握手を求めた。びっくりした。報道しか知らない一般視聴者に違和感を抱かせないぎりぎりのラインで、嵐とNEWS、両方のファンに対して明確に自分の気持ちを表明したのだ。そのたった数秒で、しかも全国ネットの生放送の場で。衝撃を受けた。「優しさと知性と気遣いとユーモア」が加藤さんの武器だと思っていたけれど、昨日の今日でその道の先を歩くモンスターみたいな大先輩がここにいることをガツンと知らされた。何があっても場や多勢の雰囲気に流されることなく、冷静に物事を考え整理し、きちんと自分の言葉で伝えてくれる人。わたしが自担に対して「こんな人でいてほしい」と思う姿そのもの。翔くんの気持ちは大きく温かく、それに包まれて少し困ったように笑ったNEWSの4人は、ちっぽけな子どものようだった。

 

曲前は円陣を組むように顔を見合わせ、何か言葉を交わしたようだった4人が頷く。増田さんが翔くんの方を見て笑う。冒頭の歌い出しはもちろん加藤さん、センター位置も偏愛するシゲマスの2人で喜んだのも束の間、曲が進むほどに歌詞が今の状況とシンクロしすぎていて、息をのんだ。「生きろ! 何万回言ったって何万回聞いたって 負けそうにまたなるけど/いいさ懸命に誓った仲間の絆を 道しるべに」。それはグループに対してもやもやした気持ちを抱えたまま、友人たちに背中を押されるようにして広島まできた、今の自分の心情だった。「生きろ! 敗北を知ったって0(どん底)にいたって またやり直せるだろう?/そう授かった命のすべてをかけて 燃え尽きるまで 生きていく」。このタイミングで、こんな曲が来てしまうのか。強烈なまでの皮肉、痛烈なまでの悪運じゃないか。

NEWSは、「いろいろある」グループだ。人のために作ったはずの応援歌がいつでも自分たちに跳ね返ってくるような、そんな未熟なグループだ。けど、曲の良さ、歌の上手さ、世界観の明確さとかっこよさは、その日も健在だった。「信じていたいんだ 光見えない未来を/あの時、君が信じてくれたように」という歌詞は、この1か月不信感でいっぱいだった自分には、素直に喜べなくても。曲終わり、全員が深くお辞儀をし、鳴り響く拍手の中、翔くんが「がんばれよ」と声を掛けてくれた。優しい優しい声だった。キャスターとしての道を先陣切って拓いてきた彼は、きっとわたしたちの知らないところでも、日テレの人にもそれ以外の関係者にも、たくさんのフォローをしてくれたに違いない。翔くんがこつこつと積み上げてきた信頼に、泥を塗ったのは慶ちゃんだ。 その事実は消えない。0どころかマイナスからのスタート。こんな1か月、もう二度と過ごしたくない。

 

わたしは結局今回の一連の騒動を許せていないし、処分も甘すぎると思う。それは彼らに対する期待値が高いからだ。ネット上が騒がしくなった頃、「残りたいファンだけ残ればいい」「少数でも彼らを愛している人たちが支えればいい」という意見もあったけど、そんなの絶対嫌だ。エンターテインメントはビジネスなんだから、現状維持なんて不可能だ。努力して投資した結果としての横這いはあったとしても、現状維持をめざして投資をやめたら、後は先細っていくだけだ。その席に座りたい人は他にいくらでもいる。でもわたしは、NEWSの4人に期待することを止められない。15年間、わたしが地元を出てからとほぼ同じだけの時間、同年代の彼らが踏ん張って守ってきたものが、こんな形でしぼんでなくなってしまうのを見たくない。たとえば翔くんみたいに、たとえば嵐みたいに、大きくて温かい、たくさんの人に愛される人たちに、いつかなってほしい。わがままでも、無理だと笑われても、そう夢見てしまったことが今や、みっともないくらいわたし自身の支えなのだ。

「だから何万回転んだってもう一回踏ん張って また歩き出せるだろ?/たとえ0からだって終わりじゃないさ 燃え尽きるまで 生きていく」。NEWSはまだ頑張れるだろうか? わたしはまた頑張れるだろうか? 単に曲が良くて、単に歌が上手くて、単に世界観が明確で、単にかっこいい、そんなグループになるまで。燃え尽きるまで。